昭和の熱っぽさを残すJR赤羽駅東口は、ふらりと入って一杯が楽しめる飲み屋が軒を連ねる。朝から酒飲みがかっ歩する街にあって、赤羽小学校の東側はエアポケットのようにのんびりした空気が流れる。
そんな東側の一角に2019年11月、おでん居酒屋『丸浩』が開店した。黒地に白い筆文字で書かれた屋号を掲げたシンプルな外観。“商い中”の札があるものの、窓ガラスには目隠しが施され、中の様子はうかがえない。
未知の世界をのぞくように足を踏み入れると、「お帰り」と大将と女将の温かな声が響く。驚いたのもつかの間、柔らかなムードに包まれる。
お客さんと密な話をしたい
「うちからは何も発信をしてないんだけど、みんな探してきてくれるんだよ。その縁を大事にしていきたいから、わざと入りづらい造りにしている。隠れ家的な感じだね」
そう語るのは店主の堀井浩二さん(56)。赤羽一番街商店街にある、立ち飲みおでんが人気の練り物専門店「丸健水産」を二代目として切り盛りしてきた。
赤羽が全国区の酒場になったのはここ数年のこと。テレビ番組や漫画で取り上げられるや、丸健水産を含む有名店は行列ができるように。ツアー客が押し寄せることもあり、多くの店が「時間内で席をお譲りください」「酔っ払いお断り」などのルールを設ける。いつしか常連客が行きつけの店に行けないという声もささやかれるようになった。
「あっちは観光地化しちゃって、次から次へとお客さんをさばいている状況。あれが実にしんどい。俺はお客さんと密接に話をして、その日の嫌なことを全部出してほしい。笑って酒を飲んで、『それじゃまたね』と店を出てもらう。それが一番」
一度リセットして、お客さんとコミュニケーンョンをとれる場を作りたい――。堀井さんは25年間献身してきた店を辞め、自分の城を構える決断をする。
丸浩ってどんな店?
10坪のこじんまりした店内は、カウンター13席と立ち飲みスペースがある。天井のスポットライトが空間の表情を豊かにし、天然素材を使った内装は年月を重ねるほどに芳醇さを増す予感。
早々に混み合う日もあるが、滞在時間を区切ることはしていない。予約はとらず、店の前に並ぶことも断っている。
「予約を取れば確実にお客さんは来るんだろうけどね。こういう飲み屋さんでも『おっ、空いているからいくか』って来て、満員になったら『もう俺ら出るからここいいよ』ってお客さん同士が譲り合ってくれる。循環だよやっぱり。そっちのほうが面白い」
いすに腰を下ろすと、大きな鍋にさまざまなおでん種が浮かんでいるのが見える。大根、昆布、こんにゃく、焼きちくわ、煮玉子など23種類が味わえる。店独自の工夫が光るお宝袋は、巾着に白菜、ニンジン、シイタケ、白滝、豚肉などの具材が入っていて、そのヘルシーさから女性支持も厚い。
鶏ガラベースのだしは、弱火でことこと3~4時間煮込んでコクを出す。企業秘密ゆえに詳細は言えないが、丸健水産のだしから少しだけ配分を変えており、より上品な味わいになったと評判だ。
カウンターの角には日本酒が並ぶ。あの『だし割』は、丸浩でも味わえるのでご安心を。丸健水産と同様に、50ccほど飲み残したカップ酒におでんのだしと七味唐辛子を足してくれる。
実はこれ、堀井さんの考案したもの。ある冬の日、話の尽きない常連客に「温まって帰んな」とサービスしたところ、人気を博すようになったそうだ。
その他にも生ビール、ウィスキー・ハイボール、焼酎、サワー、ワイン、ソフトドリンクを各種取りそろえる。ジャックダニエルのボトルが3800円など、周囲が心配する破格値だが、「回転率を上げればいい」と気風がいい。
受け継いでいるものと創作したもの
築地のかまぼこ店で修行した堀井さんの父・健吉さんが1958年に創業した丸健水産は、素材の味を大切にした自家製の練り物で知られる。
ところが丸浩のおでん種には練り物がほとんどなく、アスパラ、さといも、もろこしなど野菜が目立つ。いいだこ串、ほたて串、玉袋、なんこつつくねや骨付ウィンナーも丸健水産にはない品だ。
「そばにしっかりした練り物を売る丸健水産があるから、この店でやってしまうと当然バッティングする。相乗効果を求めるのであれば、ちょっと違うアプローチをして差別化すべきだよね」
おでんの他にも力を入れているのが一品料理。例えば、ほうれん草の上に卵黄が乗った「丸浩草のおひたし」は、ひとひねりした組み合わせが光る絶品。お通しにもこだわり、メニューはほぼ毎日変えている。ホッとする家庭的な味が客の心をグッと掴む。
これまでとは異なる路線を歩む堀井さんだが、父から学んだ職人としての心構えが底流にある。農林水産省長官賞を受賞した“はんぺん”を一緒に作っているとき、「手間を嫌がるな、そのひと手間がちゃんとおいしいものにつながるんだから」と聞かされていたという。
「今までは親父が作ってきた練り物屋さんっていう絶対の安心感があったけど、独立したら全部自分に跳ね返ってくるからさ。それがまたすごく心地いいんだよね」
自身の城で新たなる挑戦
だしのにごりや煮崩れが起きないよう小まめに火加減を調整する堀井さん。そうして味が染みたおでん種を丁寧に扱いながら、こうつぶやいた。
「おでんってのは、俺にとってお客さんとコミュニケーションをとる一つのアイテム。これがなかったら、人とつながることが難しい。だからすごく大事にしてるんだよ」
カウンターに座っていると楽しげな会話が耳に入ってくる。ミュージシャンとしての経歴もある堀井さんだが、「会話こそ心地よいBGM。邪魔をしてはいけない」という考えから音楽は流さない。
「まだ居酒屋の所作に慣れなくてさ~」と照れ笑いしながら、今夜も滋味あふれる縁を待っている。
丸浩
東京都北区赤羽1-27-8 1F map
03-6903-9889
17:00~23:00(L.O 22:30)
日曜定休